断酒1年298日目 酔いたいという自傷行為
最近はこのブログも、更新しているのかしていないのだかわからない状況になっている。
もともと物事が長続きしない自分が曲がりなりにも、断酒を2年近く続けて、ブログ投稿数もトータルではそれなりに書いてきたのは、正直なところ意外な感じがする。
毎日投稿していた時期はルーティングワークのような、やらないとその日が終わらないような気がしていた。
それが、不定期になり、1ヶ月以上更新しないと、ブログなんて書いていたっけなと思うことも。
ブログを書かなくなったからといって、飲めないことに対して苦しかったということは全くなかったし、それもブログを書かなくなってきたモチベーションの低下なのかなと感じることもある。
良いようにとれば、飲む必要がなくなった生活が普通。周囲が飲んでいても、あー楽しんでんだね。酔っ払いをみても、なんでそこまで飲むのかなー、昔は自分もそうだったから批判するつもりはないけど。ドラマの飲酒シーンをみたときには物語上必要なのかなと、その登場人物との関係性とかでなんて思いにふけったり。
今後、一生一切自分がお酒を口にしないかもしれないし、飲んだくれの人生に戻ってしまうのかははっきり言うと分からない。
きっと、飲みたいから飲んでしまうことはないと思うけど、酔いたいから飲んでしまうことはあるかもしれない。
断酒してある程度の期間は飲みたい衝動やイライラ感はあった。けれども、その期間を過ぎると、飲みたいとは思わないけど、酔いたいというある種の自傷行為のような思いにかられる事はある。ただ、行動化するまでのストッパー的なものが3重位備わっているから、今のところ断酒できているのかなと思う。
その日が3重のストッパーを明かすと。
①断酒自体が理性が行動化を抑制している。
②お酒を飲んでやらかしている人をみて、冷めた気持ちになる。あるいは、やめたくてもやめられない人の苦悩を知ることで、飲酒をした自分を想像して行動の抑制につながっている。
③自分が飲んでしまったらどうなってしまうのかを他者に話したり、ブログを通して発信していることで、断酒している自分が誰かの為になっていると思えている。
文章的に分かりやすいかどうかは読み手の方に委ねます。きっと、もっと分かりやすく伝えられる人がいると思うので、そちらを参照しても、いいのかもしれない。
久方ぶりに断酒の本質に向き合えたような気がして、改めて自身のブログを書く意義に気づけて良かったと思う。