断酒221日目 常識を疑っていなかった頃
常識とはおよそ7割以上のひとがそうだと思っていて、その集団にいれば大きな怪我をする可能性が低いということでしょうか?
日常生活を営む上で、選択肢の中で意思決定される。この行動を決め手として、常識が重要な判断材料となることがある。ただ、常識に従う度合いは人々によって様々だ。
なぜ、常識に従うのかといえば一日の中で、絶え間なく物事を決断しているとのこと。決断の連続には精神的な負担は大きいのかもしれない。だから、常識は使い方によってはすごく便利な情報なのかもしれない。
お酒に関して言えば、その情報について小さい頃から知らず知らずのうちにこれがあたかも正しいんですという情報がいつしか常識となり、疑問に思う事もなく安心してお酒を飲み続けていた。その結果が数々のお酒での失敗、時間の喪失、健康への影響など。
常識に従えば、まだ自分はアルコール依存性ではないと安心して、いまもまだ飲み続けていただろう。仕事はひょっとしたら休みがちでメンタルもかなりボロボロで、その原因の一つがお酒だなんてどれだけ疑問に思っているか。
社会一般的には依存症ではない自分が断酒をして、周囲のお酒の場で一緒に共にしていた人には、非常識的な行動を取っていると思われて、『お酒を金輪際飲まないなんてつまんない男だね』『楽しみがなくなるじゃん』なんて、あなたのとっている行動はおかしいと言わんばかりのことをいう人も中にはいた。
お酒が存在することでの得たものと失ったものを大手のメディアが徹底的に検証して発表するなんて事は皆無だし、スポンサーの存在により不可能であろう。
結果、常識が覆るには相当深刻な社会問題に発展しない限りは難しいのかなと思う。
しかし、幸いな事に、今は国民の誰もが総発信できる時代。言論の自由が保証されている。良い時代に生まれたと感謝している。