断酒して良かった

元毎晩多量飲酒していましたが、お酒に起因した失敗、心身の不健康、時間の浪費と人生これで良いのかという疑問から、断酒始めました。断酒の継続の目的でブログをはじました。禁酒に興味を持たれている方や禁酒をしている仲間の方が読んでいただけたら幸いです。

断酒2年71日目 急がば回れ

 断酒して丸2年あまり。今は早寝早起きにチャレンジしている。これがなかなか習慣付けが難しい。それを困難にしているのは、同時に2つのこと以上のことを達成しようとしているからととある本に書かれていた。確かに自分の場合は早起きをして勉強してみようか、トレーニングしてみようか、凝った料理に挑戦してみようかなど欲張ってしまう。すると、実際に早く起きても頭が働かない、せっかく早く起きても意味ないなと挫折してしまう。

 断酒を振り返って、今回の断酒前にも何度も断酒にチャレンジしたことがある。そのときにも、「節約をしよう」「トレーニングをしよう」「勉強しよう」など同時に2つ以上のことを達成しようとして挫折した。ただ、今回の断酒が2年にもわたって成功できたのは、断酒しかしなかったから。正確に言うと最低1か月程度は断酒だけできれば大成功でよしなのだ。それだけ、新しい習慣を身につけるのは難しいととある本には結論づけられているが、自分の経験上納得している。

 実際に断酒ブログを書き始めたのも、断酒して2か月程度経過してからではないかと記憶している。だから、断酒ブログはじめましたと、断酒してから1週間も経ってない人のブログを読むとかなりの確率でスリップしていることが多々見かける。本人としては、断酒に対しての意気込みは伝わるものがあるが、頑張りすぎてダウンしてしまったのではないかと思う。

 確かに、読む側としては、昨日まで飲んでいました、すごいやらかしました。で、断酒宣言して、離脱作用体験と不安定な時期をリアルタイムで赤裸々に語って1年断酒できましたという成功体験をみたいという気持ちはわかる。

 ただ大事なのは目的を達成すること。断酒もだけどアレもコレも達成しようは、たとえ断酒ができていても他のことが達成できていないから自分はダメなんだ、頑張っても意味ないじゃんとなって、そんな心のスキマを埋めるためにお酒に手を出すのは何とも切ない。

 いい意味での習慣は一つのことが無意識にできるようになるまでは他の習慣は身につけようとしなくても大丈夫。無意識にできるようになれば、また一つだけ始めればいい。人生急がばまわれとはこういったことか。

断酒2年61日目 今年も気ままに断酒生活

新年も明けまして、今年一発目の断酒ブログ。
ここ最近は思い立ったらブログということで完全にふていきでの更新となっている。

断酒ブログを始めて良かったなぁと思うのは、飲酒していた頃の苦悩エピソードが共感できる事が多く、また断酒して再飲酒の誘惑に対して、断酒の先輩方のブログを読んで多くの仲間がいるんだという実感が持てたこと。

リアルな生活だと、自分が断酒していることは周囲は知っている。「断酒を2年もできるなんてすごいね」と言われることはあるが、決して、自分はどうにかやめたいですという人は皆無。断酒=アルコール依存症みたいな認識というか。私はアルコールをコントロールすることが出来ないんですと認めないようなプライドみたいなところを感じる。

だって、アルコールの失敗談をあたかも武勇伝のように話す人もいるけど、結局自分も周りも損しているよね。お酒を飲めると幸せを呼び込んでくれると語る人は誰もいない。

「アルコールを飲まないなんて、人生つまんないじゃん」と言われたことはあるが、決してそんなことはない。むしろ、人生って限られているし、きちんと向き合っていかないと、しょうもないことで浪費して、後悔してしまう。これは、アルコールを口にする以前の自分にも言える。人生にロスタイムがあるのであればやり直したい。でも、それくらい時間って大切だなと身に染みる。

自分の気ままなブログを読んでくださる方が、少しでも人生が有意義なものになっていただけるのであれば幸いです。

断酒2年25日 習慣のチカラ

断酒とは文字通りお酒を飲むという行動をしないということ。

逆に言えばよくもまあ、飲酒習慣を長年続けてきたものだなぁとも思える。それが依存性の強いモノであったという所以。

断酒という一つの行動をやめると空白が生まれる。ただ、意識しないといつの間にかどうでもいいことに穴埋めされてしまう。

せっかく、飲酒によって嫌な感情を整理してスッキリしたと思ったのに、ゲームやネット三昧になって振り回されてたのでは人生もったいない。

事実、部屋が散らかったまま、自炊せずに中食・外食・お菓子スイーツの暴飲暴食、睡眠不足&寝過ぎ等々。これでも飲酒時代よりは幾分マシにはなったが、もったいない限りではある。

一見忙しい生活。たが、中身を見つめるとしなくてもいいことがいくつもあって、やりたいこともありながらなにも手につけていない事が多々ある。

つくづく自分が変わろうとするのは何かセンサーに引っ掛かって、いままで通りの生活をすることが平穏で安全パイだと無意識になっているのだろか。

それでも、一回で終了じゃなくて、二回目やると少しハードルが下がって、三回目やると四回五回と続けられるという、習慣の力を身につけて、楽しく、心が軽やかな日々を送りたいと思う。

断酒1年365日 明日で丸2年

断酒してからの日数を計算サイトを利用するとタイトルの通りとなった。

今となっては、飲酒に関しては放置状態で丸2年を迎える。ブログの方もだいぶ放置気味だ。たまたま節目を迎えるので書いてみることにした。

自分の知る限りでは、病気にかかった人以外でお酒を飲むのをやめた人は周囲には全くいない。

自分の家族は習慣的には飲んでいないけど全く飲んでいない訳ではない。もし、自分もそれができていたら、断酒はしなかっただろう。

さて、今年は新型コロナウイルスの影響で、仲間内あるいは職場あるいは集団での集まりの機会は激減した。

人とのつながりがより希薄になりつつあることにたいしての実感はあるし、新しい試みを躊躇するようなことはマイナスに思う。

ただお酒を介する会食の機会が減ったのは正直ありがたい。お酒を伴う会食でのいい思い出が自分自身の飲酒時代を含め近年あまりない印象があるからだ。

お酒の呪縛からせっかく解き放たれたのだから、ウィズコロナ時代で自分自身がどう向き合って行動していくか。やらずに後悔より、やって後悔しようというぐらい動いてみましょう。

断酒1年298日目 酔いたいという自傷行為

最近はこのブログも、更新しているのかしていないのだかわからない状況になっている。

もともと物事が長続きしない自分が曲がりなりにも、断酒を2年近く続けて、ブログ投稿数もトータルではそれなりに書いてきたのは、正直なところ意外な感じがする。

毎日投稿していた時期はルーティングワークのような、やらないとその日が終わらないような気がしていた。

それが、不定期になり、1ヶ月以上更新しないと、ブログなんて書いていたっけなと思うことも。

ブログを書かなくなったからといって、飲めないことに対して苦しかったということは全くなかったし、それもブログを書かなくなってきたモチベーションの低下なのかなと感じることもある。

良いようにとれば、飲む必要がなくなった生活が普通。周囲が飲んでいても、あー楽しんでんだね。酔っ払いをみても、なんでそこまで飲むのかなー、昔は自分もそうだったから批判するつもりはないけど。ドラマの飲酒シーンをみたときには物語上必要なのかなと、その登場人物との関係性とかでなんて思いにふけったり。

今後、一生一切自分がお酒を口にしないかもしれないし、飲んだくれの人生に戻ってしまうのかははっきり言うと分からない。

きっと、飲みたいから飲んでしまうことはないと思うけど、酔いたいから飲んでしまうことはあるかもしれない。

断酒してある程度の期間は飲みたい衝動やイライラ感はあった。けれども、その期間を過ぎると、飲みたいとは思わないけど、酔いたいというある種の自傷行為のような思いにかられる事はある。ただ、行動化するまでのストッパー的なものが3重位備わっているから、今のところ断酒できているのかなと思う。

その日が3重のストッパーを明かすと。
①断酒自体が理性が行動化を抑制している。
②お酒を飲んでやらかしている人をみて、冷めた気持ちになる。あるいは、やめたくてもやめられない人の苦悩を知ることで、飲酒をした自分を想像して行動の抑制につながっている。
③自分が飲んでしまったらどうなってしまうのかを他者に話したり、ブログを通して発信していることで、断酒している自分が誰かの為になっていると思えている。

文章的に分かりやすいかどうかは読み手の方に委ねます。きっと、もっと分かりやすく伝えられる人がいると思うので、そちらを参照しても、いいのかもしれない。


久方ぶりに断酒の本質に向き合えたような気がして、改めて自身のブログを書く意義に気づけて良かったと思う。

断酒1年285日目 権利

お酒は二十歳になってから。

堂々と飲める年齢になったときの新鮮さはあったような気はするが、本当に飲んで良かったのかと思うと、断酒の期間が長くなるにつれよく分からなくなってくる。

身近に飲める体質(肝機能的に問題ない人)で全く飲まない人は自分以外では皆無なので、未だに何で飲まないの的な扱いをされる事がたまにある。

普段は節酒してお酒と上手に付き合おうと考える人が比較的多い気がする。それは、お酒による弊害については認識していることだからだと思う。

この節酒は自分にとっては守れる訳ではなく、どんどん底に行ってしまうまるで麻薬のような恐ろしさがある。

それを何度説明しても、理解は得られない。

だったら、飲まない方が簡単だし、無駄に辛い思いをしないでいい。飲む権利はあくまで合法的にすぎず、人間活動を営みたい権利を行使したい。

断酒1年271日目 安っぽい探求心

断酒して、デメリットと言えること。
今まで飲んだことのないお酒を味わう事ができない。

特にヴィンテージモノ
高価でどんな味わいがあるんだろうという探求心がある。

そんなことをいうと、本当はのみたいんじゃないとたまに言われる。

これは例えるなら、お金持ちになって豪邸に住むとか、オリンピックで金メダルとる景色はどんなものなんだろうという感覚に似ている。

ただ、お酒屋に限って言えば一度思いっきり奮発しれば手に入る(モノにもよるが…)し、今までの経験上、美味しいと思ったお酒の出会いを味わうことができると思うが、それでおしまい。

安っぽい探求心だなぁと思う。
欲しいモノを手に入れるまでのプロセスがあまりにも軽い。

そしてそのあと、例外はなく安酒で多量飲酒する日々を再び送ることになるだろう。

本当は送る飲みたいんでしょう?
本当にそうか?

これが、今の答えである。

断酒1年177日目 日本酒造メーカーさんの思い。

Withコロナという、ワードも登場して、自粛生活から徐々に新しい生活様式をとりいれた社会生活に移行しつつある。

ウイルス流行前ははっきり言って、感染対策はせいぜいマスク着用するぐらい(職場でのみ)

それが、普段の外出でもするのが当たり前となり、逆にノーマスクだと違和感を感じるほどだ。

それと、アルコール手指消毒をする頻度が明らかに増えた。今だと、スーパーやドラッグストアの入り口に消毒が設置しているのは当たり前となり、割りとやっている方だと思う。後は携帯用にアルコール手指消毒を持ち歩いている。

この中身は飲用のアルコールでスーパーで1200円で瓶で売っていたものを購入。酒税もしっかりととられている。アルコール飲料の購入は断酒してからは初(みりんは除く)。

使用しての感想だが、普通の消毒アルコールと変わらない。日本の酒造メーカーさんが開発した心意気から応援したいという気持ちがわき、普段使いに用いている。

これまで断酒、断酒ときていたが、十数年お世話になった敬意もある。作り手の気持ちとかを考えて自分なりのWithアルコール生活もありなんじゃないのかなと、断酒している立場として適切かどうかはわからないが。

お酒イコール悪ではなくて、健康的で文化的な生活を営むことにつながる発想を持っていてもいいのかなと思っている。

断酒1年165日目 心を開く学習と行動変容

人はなぜ学習を必要とするのか?

自分がより良く生きていくため、誰かのために役に立つため。

世の中には、溢れんばかりの情報があり、それらすべてに目を通す事は不可能である。それは時間が限られているから。

アルコール依存症の人はお酒をどうして飲みたくなるのだろうか?

飲むことによってアルコール血中濃度が上がり、気分が良くなるという説もある。そして、飲んだ時の血中濃度が当たり前の基準になって、濃度が下がると不足してますよ警報が作動して、飲むと落ち着く状態になる。もちろん、飲んでいるとき不安感が薄れるのもあるだろう。

世の中の多くの人は、アルコールの有害性についての知識は持っている。しかし、いわゆる適量を守れている人はアルコールに弱い人あるいは体が受け付けない人、機会飲酒しかしない人を除いてはほとんどいないと断言していい。医師になれるぐらいの頭の良い人でも、酔っぱらってお店を出禁になっている噂を聞くこともあるほどだ。

自分はアルコールをコントロールできると豪語している人を時々耳にするが、そういう人に限って飲み会ではたくさん飲んでいる。過去にはやらかしエピソードも出てくるわ、出てくるわで。

自分も人の事は言えた立場でない。飲む量は単発的にコントロールできることはあるかもしれないが、続けられない。飲む度に我慢を強いられるのを一生続けなきゃいけないのと思うともはや拷問だ。

幸い、自分と同じようにアルコール依存で辛い思いをして、どうしたらよいのかを建設的に思考レベルで行動変容につながった実績を残した著書が存在している。

自分はアレン・カー著書の禁酒メソッドを熟読し、自分の中での疑問を一つ一つ向き合って、自分はアルコールに対しては無力なんだと素直になれたのが、断酒を続けられている核となっている。

学習とは単に知識を詰め込むことではなくて、咀嚼しながらこれは腑に落ちない、これは納得できるというようにすすめて、血や肉となって、行動変容につながっていくのだと思う。

単位や資格をとるための学習も大事だが、その先の人生に大切な本質と向き合えるような学習をどれだけやったのかが、今後の豊かな人生を歩むのに必要なことではないかと思う。

断酒1年158日目 宅飲み需要と効果

ステイホーム週間が始まり、更なる家にいる時間が増えているであろうこのご時世。

家飲みする人が増えて、コンビニやスーパー等ではお酒類の売上が増えているそうだ。それを輪にかけるようにオンライン飲み会が後押している状況でもある。

自分も、もしいまだに断酒していなかったら、休みの日には日中から飲んでいることだろう。酔っ払いながら、ニュース、ワイドショー見ながら自粛はしんどいけど、国民の一人としてステイホームで貢献しようなんて思いながら、自己研鑽に励まず日々過ごしていることだろう。

いや、もうすでに慢性的なアルコール摂取により、仕事を休職あるいは退職してアルバイト生活をしながら、明日はどうなってしまうのだろうという不安を打ち消すために、更なるアルコールに手をだしているかもしれない。

ステイホームによりアルコール依存のリスクを警鐘している専門家もいて、注意勧告している記事もみかける。

注意勧告程度で、飲酒問題が解決するのであれば、多分私自身は断酒はしていないと思う。

ギャンブル依存もしかり、お店が空いていたら自制できないのと本質的には一緒に思える。

とはいえ、身近にいる二十代前半の同僚は夜勤明けや翌日休みの日のお酒を楽しみにしていると語り、酒量も日本酒換算で5合以上飲んでいるとのこと。今のところやめるような様子もない。

結局は本人がアルコールをやめたいと思わない限りは、他人がいくら説得したところで無駄な労力になってしまう。

しかし、自分がアルコールをやめて、一年以上続けられていることに対しては、関心を持って質問される事はよくある。

説得はあんまり意味は無さそうだが、断酒を続けられているという事実を伝える事は意味を持つのかなと思う。

断酒1年148日目 オンライン飲み会

緊急事態宣言にて、ステイホームが合言葉のように耳にする。

家でできる娯楽といえば今はネット環境も整っているので時間を潰す事はいくらでもできる。

ただ、感染防止の点から三密が大切だと呼び掛けられて、人とのコミュニケーションが大幅に減ったと実感している。

そんな時に、オンライン飲み会となるものがメディアで特集されている。感染リスクがまったくなく小集団でコミュニケーションをとれるのは魅力的なツールだなと思う。

仮に断酒していなかったら、オンライン飲み会について、ストロングゼロでも飲みながら動画みて休みの日は酔いつぶれていたことだろう。

職場の同僚が緊急事態宣言が終わったら飲み会やりたいねって言ってたので、オンライン飲み会なら感染リスクないし、いいんじゃないと伝えると、『いや、あんなの俺は嫌だ』と即答される。

従来の飲み会を堂々とやれる見通しはまだまだわからない。せめて、韓国や中国くらいに早期に終息傾向になっていればいいなと思うが、焦らずに今続けられる事をやっていけばいいと思っている。

お酒と私

これまで、ブログのタイトルに断酒日数を入れていたが、それによって断酒し続けるモチベーションに繋がっているわけでも、お酒に手を出しそうということも無さそうなので、たま~に気まぐれで入れようかなと考えている。

さて、昨今新型コロナウイルスの感染急増に伴い、医療危機に瀕して、我が国でも緊急事態宣言が始まり、不要不急の外出自粛、3密の徹底がよりいっそう国民が一丸となって取り組んでいくこととなった。

そんな最中、『お酒と私』

酒飲みの頃の私だったら、今頃は巣籠もり生活しながら、飲んだくれでいたことだろう。正直、娯楽らしい娯楽は著しく減った。お酒でも飲んでないとやってけない。テレビに出てくる芸能人の中には毎日のように家飲みをして、酒量がここんところ増えているなんていうエピソードも耳にする。

また、コロナウイルスによる収入減少で、夫婦同士がお酒の場での口論からのトラブルで死に至ったケースはただただやるせない。

確かに収入減少は深刻な問題出し、先行きの見えない不安から、一時でも忘れたり、酔いによって楽しい気持ちになりたいというのは分からなくもない。

ただ、自分の経験上、酔うと抑制が困難になる。他人から自分の触れられたくないことを言われると、例え建設的な内容であっても、感情には負けてしまい余計な事を言い返したり、暴力という形でやり返したりするあるいはトラブルに発展して、相手との関係に大きな溝を作ったりと要らんことが起こりやすくなる。

断酒して、約1年半程度となるが、こんな状況になってもお酒を飲もうとは思わない。仕事は辞めずに続けられているし、自分なりに社会生活は遅れている、それなりに社会に貢献は出来ているかなとは思っている。

もちろんお酒を飲んでいる人だって素晴らしい人はいっぱいいるし、やめろなんて言うつもりはない。

先日コロナウイルスによりお亡くなりになった志村けんさんは、私にとっての笑いにおいて神様のような存在だし、彼にとってお酒は必要なものであったと思っている。

たまたま私にとっては今となってはお酒は必要ではなかった。ただそれだけ。

断酒1年128日飲酒習慣のある若手同僚

先日、夜勤で一緒になった二十代前半の同僚とお酒の話になった。『僕って夜勤終わった後に飲むお酒が好きなんですよ。先日なんて、友達と公園で飲んだりして楽しかった』と話をされ、自分もかつては同じことをしていた事を話す。すると、『じゃあ、飲みに行きましょうよ』と誘われた。

それに対して、
①今はお酒はやめていること
②仮に飲んだら最初の30分で中ジョッキ3杯飲んで、1時間後には5杯。2時間で7、8杯飲んじゃう。
③一度飲んじゃうと、結果的に仕事に行けなくなっちゃう
以上の事を伝えた。

大抵、お酒を勧めてくる人に対して以上のような事を説明すると、諦めてくれる。そうでない人もいるが、それ場合その場が楽しくなればいいだけの無責任さからくるものなので相手にしない。そもそも、そう言ってくるひとはお互いにとって今後お付き合いを続けていくメリットはあるのかなと疑問に思うところである。

自分も思い返せば20代前半の頃はお酒を飲んで楽しかった記憶はある。きっと、お酒がというより、成人してこんな自由な事が堂々と出来て大人って最高って思ったんだろう。決して高い給料じゃなかったけど、友達とバーやライブハウスに行ってイケてると思っていたり、ひとり暮らしの家に友達招いて飲んだりが新鮮でハッピーな感じがした。

だから、若手同僚にはお酒を飲まない方がいいよなんて偉そうな事は言えない。本当はやめたいなんて言わない限りは言うつもりもないが。

でも、自分のお酒実体験としては
5年で大体新しい体験は無くなる
10年経つと、楽しいというよりはほっとする
15年経つと、一緒に飲む人のちょっとした否定意見にイライラしてしまい、ひとりでノンだ方がマシと、お酒って必要?っていう疑問がわく。

今日もコンビニのお酒コーナーを眺めて、美味しそうだなぁどんな味なんだろうと興味のあるものはなかった。商品を見ただけで脳内で味が再現できてしまう。きっとおいしい久しぶりの感覚と思えるのは最初の一杯のみ。なかなか酔いが回らず、でも、気づいたらぼぼんやり酔いが周り、ろくにアルコール以外の水分を十分に取らず、塩分の濃い食べ物とスイーツの暴飲暴食。しょっちゅうトイレにも行き。いつの間にか寝る💤

翌朝、身体からアルコール臭が、漂いつつやる気も出ない。仕事…それ大事なの?


20代前半であれば身体の予備力があって二日酔いしても、全然仕事できたけど、今はそれどころではない。アルコールは進行性の病気を招くと、実をも身をもってわかるようになった。

自分が20代だったころと比較して今の二十代の若者の飲酒する割合はかなり減ったと実感としてある。しかし、自分からみて引くぐらいの酒豪はあまりいないが、そこそこ習慣的に飲む人はいるなぁと。

断酒ブログを閲覧している方の背景は様々であると思うが、ひとつでも共感できるところがあれば幸いである。

断酒1年121日目 宴会のない花見

コロナウイルスによるクラスター感染対策の一つとして、今年のお花見は宴会自粛となった。

この対策がどこまで感染防止に繋がっているかは分からないが、お酒によるトラブルはあんまりないようだ。

多分中には、アルコールを摂取しながら花見散歩をしている人もいるかもしれないが、そのような方は、自粛云々にはきっと左右されないであろうから、いちいち目くじらを立てる必要はないと思う。

メリットとしては、場所取りがないから、通路の流れはスムーズで、花見をしっかり堪能できると思われる。自粛は決して悪いことばかりではなく、新たな発見の良い機会と捉えてもいいのではないかと思う。

断酒1年114日目 これでいいわがあぶない

今も断酒せず、口だけ節酒宣言していたら、タイトルの『これでいいわ』飲酒をほぼ毎日やっていることでしょう。

決してお酒の味が好きで飲んでいるわけではなく酔っ払いたいだけなのだ。だから、美味しくない発泡酒や、アルコール度の高いコストパフォーマンスに優れたストロングチューハイや安い焼酎などを買うことも多かった。

今、コロナウイルスにより自粛ムードで旅行やイベントにも行くことができない。だから、せめて、お酒でもくいっとやって、気をまぎらわしたいと思うのも以前ならやっていたし、そういう人の気持ちも分からないではない。


でも、美味しいとは思わないけどこれでいいわは、お酒の特性上、ましてや飲めば飲むほど酔いの閾値が上がってしまっている飲兵衛にとってはとてもあぶない行為である。

確かに私自身はお酒をたってから、1年以上も経っているので、大半の人はお酒をコントロールできる人間と思っているのかもしれない。だから、無責任に解禁してみたらとか、飲まなきゃつまんないでしょう、一緒に飲めないなんて寂しいよって平気で言われるんだろうなって思うこともある。

それだけ、大抵のひとはお酒なんてコントロールできるもので、アルコール依存になってしまうのは、その人に問題があるみたいなかんじである。ある意味では正しいのかもしれない。問題のあるお酒の飲み方をしている人がお酒を絶つには、本人自身が問題を認識して、自ら行動を起こさないと解決できなかったりするから。

ただ、お酒を飲んじゃいけない人が飲んでしまう因子で本人自身の問題の他に環境因子がある。お酒を飲むことは人との協調性を重んじる意味では必要なことだという考え方はどうかなと思う。あくまで個人的な考え方としては、問題飲酒をしない人だけ飲んで、人には勧めたり強制しないことが出来ていればそれでOKだと思っている。