断酒して良かった

元毎晩多量飲酒していましたが、お酒に起因した失敗、心身の不健康、時間の浪費と人生これで良いのかという疑問から、断酒始めました。断酒の継続の目的でブログをはじました。禁酒に興味を持たれている方や禁酒をしている仲間の方が読んでいただけたら幸いです。

断酒4年290日 ノンアルコールハイボールのワナに引っ掛かる

久しぶりの投稿となる。

断酒してからリラクゼーション目的でノンアルコールビールやサワー、カクテル、ハイボールを愛飲している。ノンアルコール飲料で最も良いことは、翌日に全く影響がないことに尽きる。大抵2~3缶飲めば満足できるので、飲酒時代と比較しても非常に経済的だし、アルコールの害を受けないので、生活の質も維持出来ている。

 

さて、とある先日にいつものようにノンアルコールハイボールのコーナーから購入して、冷蔵庫で冷やしてクゥーっと飲むと、ものすごい違和感を感じる。「これは…まさか…」商品の表示を確認するとアルコール9%‼️❓️

 

悪魔😈の飲み物🍸️をいつ振りかに摂取してしまった。すぐに中身は捨てた。そして教訓。ノンアルコールコーナーから商品をとっても内容は確認しましょう。

 

以来、アルコール飲料は口にはしていない。ちなみに、久しぶりにごくりしたアルコールを飲んで酔っ払うことはなかった。結果的にスリップして、再飲酒生活に戻ってないのでホッとしている。

断酒4年39日(1500日)新しい景色に向けての取り組み

新年明けてしまった。

一昨日、看護学校時代の同級生と会食をした。ライセンスを取ってから6年となり、臨床指導者の資格ももうじき取れる。そんなこんなで、訪問看護ステーションを私たちで開業しようと話しになった。それで、介護支援専門員(ケアマネ:ケアマネジャーの略)をみんなで取ろうということになった。合格率は20%ぐらいらしくて、みんなで受ければ誰かは受かるでしょということになり、アマゾンで参考書をポチってみたとか、私来年受けるつもりとか結構本気モードみたい。今後の人生を考えた時に、一年一年が大切というか、行動しなかったら何も変わらないし、あとで後悔してもとねと。

自分としては将来的に訪問看護をやってみたいという気持ちはあり、ノリとはいえ一人で頑張るよりは仲間内で一緒に何かを目指していくのは悪くないなって。

合格に向けて大まかなスケジュールの把握と効率よく学習して合格を目指そうと思う。

断酒3年171日目 スリップの夢

スリップする夢を大体一月に一回程度見る。
「あー飲んじゃった」という開き直った言動の毎回お馴染みのような絵面がリアルに感じる。

お酒はやめて続けられているが、何かしらの依存対象はある。自分の場合はお菓子とか菓子パン。何度も止める行動を起こしたが、スリップを繰り返している。

幸い毎日のように食べている訳ではなく、夜勤の時とか、マラソンなどきついトレーニングをこなせたご褒美をきっかけに食することが多い。それでお酒まで手を出さないのはある意味立派なのか。

ただ夢を見た時に毎回思うのは、どんなきっかけでお酒を飲むことになったのかのエピソードがカットされて、いきなり飲んでいるってところが、ちょっと納得がいかない。

それでも、飲んじゃったら結局は同じ。途切れずに続けられているのはありがたいというか、奇跡なのかもしれない。

たまには断酒している方のブログをみて断酒続けていこうと思う。自力だけじゃなく、人のチカラ借りるのも大事だと思う。

断酒1200日 ダルク創設者死去に思うこと

ニュースにて、ダルク創設者の近藤恒夫さんがお亡くなりなったことを知る。

幸い私自身はダルクのお世話になることなく断酒できたが、ダルクという存在無しには断酒することはできなかったなと思う。

覚醒剤とお酒は合法・非合法という点、身体・精神・社会的な影響に対する全く点においては別物なのかもしれない。

ただ、薬物に溺れどん底から這い上がるために、行動したこと、そこに周囲の人たちと繋がって人生を再出発して、様々な経験は、薬物によって苦しんできた人たちにとっての希望の光となったことに対して、感謝しかない。

ブログは人との繋がりという面では、ダルクと遜色ない断酒し続ける行動だと思っている。どちらが優れているのかは単純に比較はできない。ダルクと言えば敷居は高そうだが、辛いときでも言葉、表情、直接的にコミュニケーションをとれるところが優れているのかなと思う。って人との。ブログだと、対面は基本的にしないから気軽に導入ができるところが優れているのかなと思う。

私はブログを使ってはいたものの、身近な人との交流の中で、断酒することをカミングアウトしていたという点では、対面式の人との繋がりはあったなと思う。むしろ、ブログだけで断酒するのはかなりハードルは高いんじゃないのかなさえ思う。

とは言え、このダルクの創設者と比べれば行動したことなんてちっぽけなものであると感じる。それほどまでに、人生に依存性と真摯に向き合って大きな動きをもたらした偉大な方だったんだなと思う。

死去という大きな存在がいなくなったのかもしれないけれども、この方に影響を受けた周囲の人たちが、次の世代に受け継げられていくことでしょう。

断酒2年346日目 人との交流

ほとんど気まぐれにブログ更新している。今日のように、アクセス数をみて、見に来てくれる方がいたことに気付く。正直うれしい。せっかく見に来てくれたから更新しておかないとなという気持ちになる。

 

もうすぐ断酒して丸3年になろうとしているが、最近は節目の日にブログを投稿するといったことをここ最近のブログではやっていない。

 

節目の日は自分の中でも覚えやすいし、ネタとしても気合を入れられるというメリットはあると思う。ただ、そのちょっと前に思いついたことがあった時に、ちょっと我慢して取っておこうという行動をすると、機を逸してしまうことって今までの経験でちょいちょいあったので、たまたまっていうタイミングでっていうスタンスを取ることにしている。

 

さて、今日テーマに載せたのは『人との交流』

 

昨日たまたま、SNSで同窓会的な忘年会のお誘いがあった。

コロナ禍になって、この忘年会というフレーズは過去の思い出のような、それくらい仲間との飲み会をやってないなと思った。

 

自分が断酒したのはコロナ前であり、自然と飲まなくても平気になって1年経ってぐらいでこのご時世突入していた。

 

このご時世、極端に特定の人以外との交流がほとんどなくなった。これでいいのかなっていう疑問がくすぶっていた。

 

ようやく最近になってわが国では陽性者ないし重症感染者数が激減している。まさに、このタイミングっていうところでの懐かしき仲間との再会のお誘いといったところ。

 

元々自分はコミュニケーションは不得手なところがあったが、お酒の力を借りるようになってから、プライベートで人と会うときはほとんどお酒を飲むのがいつしか当たり前のようになっていた。それで、なんとなく人生幸せに過ごせているんじゃないかなという錯覚に陥っていたことに疑問を持たなかった。

 

いや、実は気づいていたと思う。特にお酒を飲む前の人前にいる時の気まずさが年々強くなっていることに。だからなのか、飲み会開始直後の飲むペースが速くなったのが、そのせいじゃないかなって思う。酔っぱらって、気まずいという不快な感じがふわっと和らいで気持ちよくなっていく。ただ、だんだんと不快な感じの度合いが深くなって、気持ち良くなるまでに注入するアルコールの量が次第に増えていく。

 

今でも断酒せずに飲み続けていたら、どのくらい飲んでいるのかな。日常生活は送れているのだろうか。

 

断酒して、時間がたつごとに脳の機能がまともになってきていることが実感している。ひょっとしたら一部はぶっ壊れているかもしれない。と思ってしまうのは、一度も飲んでいない頃の自分自身とは違う感覚があるからだ。その感覚については以前のブログを参照で(これは自分が断酒していることの核になっているのでおそらく今後のブログで書くと思う)。

 

一見断酒してものすごく人生が好転したかと言えばそうでもないかもしれない。逆にいえば、そんなに最悪なことが起きていないというほうが自信もって言える。

 

一言でいうと、いつでも素面で社会生活を送ることに尽きる。素面の時にこそ人との交流とか人間的な生活をこれから存分にしていきたい。

断酒1000日ゴエ

ブログの更新も気まぐれになって、気付くと断酒してから1000日をとっくに過ぎていたことに今日気付く。

日々アルコールの事をほとんど意識しないで、普通に生活できる。こんな当たり前の日々を送ることができている。お酒に依存していい加減苦しくてやめたいと思っていた頃からは信じられないと思う。

自分はお酒に依存している事を自他共に認める。やめ続けるのが辛いではなく、解放されるという自由を手に入れるという考えを持つ。

実際に実行に移して、言うほどスマートではなかったと思う。やめて3週間までは誰にも言わなかったし。3か月位はカミングアウトして、時々イライラしてたことがあった。

今はお酒飲まなくて人生損じゃないって言われてもなんとも思わないし。好きで飲んでいるなら、ほっときます。

断酒はおすすめだけど、他人に対して断酒させるのは難しいというか、無理ゲーだと思っている。性格まではいかないけど、行動を変えさせる難しさはほとんどの人が分かっていると思う。

自分自身が断酒したいと思って自由になれる道が用意されていると私は考える。断酒ブログに来られる方はそのような思いで読まれているのだろう。

あくまで、自分はたくさんの断酒に関するブログの中の一人に過ぎないので、ちょっとでも引っ掛かりがあるのであれば幸いです。

自分も、他の方のブログを読んで共感を得たり、孤独感を癒す事が出来、続ける力になったと思う。

特に最近思う事は断酒して、100日以内のブログを書かれている方に関して、今が一番大事な時期だよ。応援したい。何ができるわけではないけど。自分もその頃は思う事が色々あったなと。

断酒2年252日目 お酒で人生半分損したからこその・・・

 お酒の思い出。一番楽しかったのは、いつだったのか?

①お酒の味に慣れてなく、味がまずくてなんでこんなものにはまる人がいるんだろうと思った。友人が酔っぱらってその行動が可笑しくて笑いこけたのは覚えている。

 

②お酒を飲み始めて3年ぐらい。機会飲酒で飲み始めはまずいと思いながら、ビールのジョッキを1杯飲み干すと、まずさが消える。2杯、3杯と飲み干すと、キタキタキターとテンションが上がって、2時間の飲み放題コースが終わるころには、酔いが回り、これが楽しいのか何なのか分からず、ずるずると2次会へレッツゴー。

翌日の目覚めの悪さと浮腫み。まあまあの確率で吐き気。仕事があれば休まず、二日酔いと闘う(戦うって何って思うが・・・)。

 

③お酒を飲み始めて8年位。家でも飲むようになる。はじめは味気ないから、毎日のようには飲まない。毎日のように飲むようになったきっかけは、近所のお店にひとりで行くようになってから。そこで常連さんと仲良くなる。お酒に関する知識や大人のたしなみ的なことを学ぶ。そして、そこそこお金がかかる。せっかくお酒の知識を学んだから、いろんなお酒を味わいたい。でも外で飲むとお金がかかる。決して高収入ではない。そのため、これを自宅飲みが始まった。ビールはもちろんのこと、ウイスキー、焼酎、日本酒を色々試した。あー美味しい。知識と味をブレンドしながら、お酒が日常に溶け込んでいったのだろう。

ときどき、ベロンベロンになることも、たまに職場に遅刻することも(年に1~2回)。

 

④お酒を飲み始めて12年位。基本的に飲む量は変わらないが、飲むペースは変わった。最初の30分でビールジョッキ3杯を飲むのが当たり前になっていた。なんというか、飲む前のテンションが低くて、ビール3杯飲んでやっと±0のような感じ。資格を取るために、平日は基本飲まずに金土ガンガン飲むみたいな生活をしていた気がする。アルコールがうつ状態と密接に関連するということをまさに味わっていた。節酒する発想はあったがやめるという発想はその時点ではなかった。

 

⑤お酒を飲み始めて15年過ぎたころ。仕事が終わると、すぐにコンビニかディスカウントストアに行き、お酒とつまみを大量に購入する。ああ今日もいい買い物をしたとずっしりとした買い物袋を、ダイニングテーブルに置く。この瞬間が一番幸せを感じた。あとはもう、ただ飲むだけ。ビールはもちろん飲むが、ストロング缶を3本1時間で飲み干すのが日課になった。思ったのが明らかに酔っぱらうのに必要なアルコール量が増えていた。かなりの耐性がついていたと思われる。それでもって、毎日起きるのが辛かったし、午前中は頭が働かない、ちょっと鬱っぽい感じもあり、仕事に対して粘り強さもない、でも会食という名の飲み会は好きだった。酔っぱらうと弾けていた。しかし、だんだんとうつっぽさが強くなって、仕事に支障をきたしつつあったところで、職場異動命令が下る。しかも、異動先は仕事内容もさることながら、人間関係でストレスフル。しかも、異動先の飲み会で酔った勢いでちょっとしたふざけた事を言ってしまい、それを後日ねちねちと言われる始末。ついにストレスは限界に。

 

結果的に、お酒が、自分のメンタルあるいは生産性を失い、また人間関係トラブルを招くといったことに気付く。そこで初めて断酒しようと決意した。

 

お酒を飲んでいた頃は、飲めない人に対して、人生損をしているなあと思うことがしばしばあった。お酒をやめる時には、会食の場で宣言をした。「お酒を飲まないなんて人生半分損しているよ」「金輪際飲まないってよ」と、あたかも断酒する行為は愚か者のレッテルを貼られる。また、断酒なんて続かないでしょと上から目線で何度も言われる始末。

 

ところがどっこい。飲めなくてつらいということはなかった。確かに好きな種類のお酒を飲める人がうらやましいなと思うことはあった。ノンアルコールドリンクの種類は少ないなとも思った。しかし、アルコールが入ってないので失態を起こしようがない。しかも、話をしたことはきちんと覚えている。時間は倍増えた気がする。もちろん結構いいことづくめだったりする。2日酔いもないし、睡眠の質が良くなり、目覚めもよくなってきた。うつ状態もかなり改善した。相変わらず、仕事がノンストレスとは言えないがパンクせずに今日までやってこれた。

 

お酒を飲んで人生半分損するといったのは、わざわざ自分からコンディションを悪くして、しかも現実逃避をしている行為を繰り返しているだけだったのだ。お酒を飲んで楽しいと、幸せだと思ったのはすべてではないにせよ結構幻想だったなと思う。これだけの長い期間、自分の心と体を破壊し続けて、しかも自分と向き合うことを回避し続けたのは非常にもったいないと思った。失ったものは取り返せない。だが、今日が人生で一番若い日。生きている限りはいつでもやり直すことができる。逆にお酒に酔って色々な後悔をしてきたからこそ、人に語れることがあるのかなと思う。また、たくさんの損をしてきたからこそ、自分がどうありたいか、これからをどうしていきたいか向き合うことが何よりも価値があるように思える。

 

 

断酒2年191日目 ポンコツ化された飲酒時代

 お酒をやめる。YouTube大学の中田敦彦さんのチャンネルで取り扱っていた。断酒に関する再生回数で圧倒的な結果となっている。つまり、世の中的にはお酒はいいものである方が都合がいいという理屈があるということなのだろう。

 

 「お酒は百薬の長」という言葉があるが、その裏側には、民衆にたくさんのお酒を飲ませて多くの税金を納めてもらうという。そして、企業も潤う。経済的な観点から必要悪のような性質を持っているのだろうか。

 

 だから、まずテレビで断酒について大々的にやらない。「お酒を適度に飲みましょう」「お酒をコントロールできない個人が悪い」「お酒に罪はない」といった言葉がまかり通ってしまう。

 

 そんな、社会構造の中で、YouTubeで断酒のコンテンツで再生回数が100万回程度を獲得するというのはかなり衝撃的というか革命的出来事であると感じてしまった。

 

 さて、タイトルにあげた、お酒を飲むことによってポンコツになってしまうメカニズム。これは自分の体験にとても当てはまっている。なぜやめるかについて①睡眠②体重③老化④重病とまとめられている。このキーワードを見ただけでどういうことなのかイメージができる。それだけ、お酒に関しての知識を学んでいたということが再確認できた。この動画では1時間程度で閲覧ができる。とても、価値のあるコンテンツであると思う。

 

 断酒についての本質として、治療ではなく教育を受ける。子どもの頃からお酒に関する教育をきちんと受けることの大切さ。お酒について構造的にわかりやすくプレゼンテーションされているのが閲覧して面白いと感じた。ぜひおすすめだと思います。

断酒2年162日目 お酒にまみれる別世界の人

 世間一般的にはお酒は嗜む程度であれば、心身にとって良いものだと捉えられている。
無論自分は嗜む程度ですまないばかりか、心身に支障をきたす飲み方をしてしまうので、いっそうの事やめて正解だったと思っている。

 自分は人混みのところに出歩かないので、路地飲みとか、BBQなどで飲んで騒いでということが行われているというのが、別世界の人にしか思えない。

 断酒して、自制した生活を送ることが出来、日々感謝している。

 
 

断酒2年71日目 急がば回れ

 断酒して丸2年あまり。今は早寝早起きにチャレンジしている。これがなかなか習慣付けが難しい。それを困難にしているのは、同時に2つのこと以上のことを達成しようとしているからととある本に書かれていた。確かに自分の場合は早起きをして勉強してみようか、トレーニングしてみようか、凝った料理に挑戦してみようかなど欲張ってしまう。すると、実際に早く起きても頭が働かない、せっかく早く起きても意味ないなと挫折してしまう。

 断酒を振り返って、今回の断酒前にも何度も断酒にチャレンジしたことがある。そのときにも、「節約をしよう」「トレーニングをしよう」「勉強しよう」など同時に2つ以上のことを達成しようとして挫折した。ただ、今回の断酒が2年にもわたって成功できたのは、断酒しかしなかったから。正確に言うと最低1か月程度は断酒だけできれば大成功でよしなのだ。それだけ、新しい習慣を身につけるのは難しいととある本には結論づけられているが、自分の経験上納得している。

 実際に断酒ブログを書き始めたのも、断酒して2か月程度経過してからではないかと記憶している。だから、断酒ブログはじめましたと、断酒してから1週間も経ってない人のブログを読むとかなりの確率でスリップしていることが多々見かける。本人としては、断酒に対しての意気込みは伝わるものがあるが、頑張りすぎてダウンしてしまったのではないかと思う。

 確かに、読む側としては、昨日まで飲んでいました、すごいやらかしました。で、断酒宣言して、離脱作用体験と不安定な時期をリアルタイムで赤裸々に語って1年断酒できましたという成功体験をみたいという気持ちはわかる。

 ただ大事なのは目的を達成すること。断酒もだけどアレもコレも達成しようは、たとえ断酒ができていても他のことが達成できていないから自分はダメなんだ、頑張っても意味ないじゃんとなって、そんな心のスキマを埋めるためにお酒に手を出すのは何とも切ない。

 いい意味での習慣は一つのことが無意識にできるようになるまでは他の習慣は身につけようとしなくても大丈夫。無意識にできるようになれば、また一つだけ始めればいい。人生急がばまわれとはこういったことか。

断酒2年61日目 今年も気ままに断酒生活

新年も明けまして、今年一発目の断酒ブログ。
ここ最近は思い立ったらブログということで完全にふていきでの更新となっている。

断酒ブログを始めて良かったなぁと思うのは、飲酒していた頃の苦悩エピソードが共感できる事が多く、また断酒して再飲酒の誘惑に対して、断酒の先輩方のブログを読んで多くの仲間がいるんだという実感が持てたこと。

リアルな生活だと、自分が断酒していることは周囲は知っている。「断酒を2年もできるなんてすごいね」と言われることはあるが、決して、自分はどうにかやめたいですという人は皆無。断酒=アルコール依存症みたいな認識というか。私はアルコールをコントロールすることが出来ないんですと認めないようなプライドみたいなところを感じる。

だって、アルコールの失敗談をあたかも武勇伝のように話す人もいるけど、結局自分も周りも損しているよね。お酒を飲めると幸せを呼び込んでくれると語る人は誰もいない。

「アルコールを飲まないなんて、人生つまんないじゃん」と言われたことはあるが、決してそんなことはない。むしろ、人生って限られているし、きちんと向き合っていかないと、しょうもないことで浪費して、後悔してしまう。これは、アルコールを口にする以前の自分にも言える。人生にロスタイムがあるのであればやり直したい。でも、それくらい時間って大切だなと身に染みる。

自分の気ままなブログを読んでくださる方が、少しでも人生が有意義なものになっていただけるのであれば幸いです。

断酒2年25日 習慣のチカラ

断酒とは文字通りお酒を飲むという行動をしないということ。

逆に言えばよくもまあ、飲酒習慣を長年続けてきたものだなぁとも思える。それが依存性の強いモノであったという所以。

断酒という一つの行動をやめると空白が生まれる。ただ、意識しないといつの間にかどうでもいいことに穴埋めされてしまう。

せっかく、飲酒によって嫌な感情を整理してスッキリしたと思ったのに、ゲームやネット三昧になって振り回されてたのでは人生もったいない。

事実、部屋が散らかったまま、自炊せずに中食・外食・お菓子スイーツの暴飲暴食、睡眠不足&寝過ぎ等々。これでも飲酒時代よりは幾分マシにはなったが、もったいない限りではある。

一見忙しい生活。たが、中身を見つめるとしなくてもいいことがいくつもあって、やりたいこともありながらなにも手につけていない事が多々ある。

つくづく自分が変わろうとするのは何かセンサーに引っ掛かって、いままで通りの生活をすることが平穏で安全パイだと無意識になっているのだろか。

それでも、一回で終了じゃなくて、二回目やると少しハードルが下がって、三回目やると四回五回と続けられるという、習慣の力を身につけて、楽しく、心が軽やかな日々を送りたいと思う。

断酒1年365日 明日で丸2年

断酒してからの日数を計算サイトを利用するとタイトルの通りとなった。

今となっては、飲酒に関しては放置状態で丸2年を迎える。ブログの方もだいぶ放置気味だ。たまたま節目を迎えるので書いてみることにした。

自分の知る限りでは、病気にかかった人以外でお酒を飲むのをやめた人は周囲には全くいない。

自分の家族は習慣的には飲んでいないけど全く飲んでいない訳ではない。もし、自分もそれができていたら、断酒はしなかっただろう。

さて、今年は新型コロナウイルスの影響で、仲間内あるいは職場あるいは集団での集まりの機会は激減した。

人とのつながりがより希薄になりつつあることにたいしての実感はあるし、新しい試みを躊躇するようなことはマイナスに思う。

ただお酒を介する会食の機会が減ったのは正直ありがたい。お酒を伴う会食でのいい思い出が自分自身の飲酒時代を含め近年あまりない印象があるからだ。

お酒の呪縛からせっかく解き放たれたのだから、ウィズコロナ時代で自分自身がどう向き合って行動していくか。やらずに後悔より、やって後悔しようというぐらい動いてみましょう。

断酒1年298日目 酔いたいという自傷行為

最近はこのブログも、更新しているのかしていないのだかわからない状況になっている。

もともと物事が長続きしない自分が曲がりなりにも、断酒を2年近く続けて、ブログ投稿数もトータルではそれなりに書いてきたのは、正直なところ意外な感じがする。

毎日投稿していた時期はルーティングワークのような、やらないとその日が終わらないような気がしていた。

それが、不定期になり、1ヶ月以上更新しないと、ブログなんて書いていたっけなと思うことも。

ブログを書かなくなったからといって、飲めないことに対して苦しかったということは全くなかったし、それもブログを書かなくなってきたモチベーションの低下なのかなと感じることもある。

良いようにとれば、飲む必要がなくなった生活が普通。周囲が飲んでいても、あー楽しんでんだね。酔っ払いをみても、なんでそこまで飲むのかなー、昔は自分もそうだったから批判するつもりはないけど。ドラマの飲酒シーンをみたときには物語上必要なのかなと、その登場人物との関係性とかでなんて思いにふけったり。

今後、一生一切自分がお酒を口にしないかもしれないし、飲んだくれの人生に戻ってしまうのかははっきり言うと分からない。

きっと、飲みたいから飲んでしまうことはないと思うけど、酔いたいから飲んでしまうことはあるかもしれない。

断酒してある程度の期間は飲みたい衝動やイライラ感はあった。けれども、その期間を過ぎると、飲みたいとは思わないけど、酔いたいというある種の自傷行為のような思いにかられる事はある。ただ、行動化するまでのストッパー的なものが3重位備わっているから、今のところ断酒できているのかなと思う。

その日が3重のストッパーを明かすと。
①断酒自体が理性が行動化を抑制している。
②お酒を飲んでやらかしている人をみて、冷めた気持ちになる。あるいは、やめたくてもやめられない人の苦悩を知ることで、飲酒をした自分を想像して行動の抑制につながっている。
③自分が飲んでしまったらどうなってしまうのかを他者に話したり、ブログを通して発信していることで、断酒している自分が誰かの為になっていると思えている。

文章的に分かりやすいかどうかは読み手の方に委ねます。きっと、もっと分かりやすく伝えられる人がいると思うので、そちらを参照しても、いいのかもしれない。


久方ぶりに断酒の本質に向き合えたような気がして、改めて自身のブログを書く意義に気づけて良かったと思う。